あなたがいない時間、足りなかったもの
「会いたい」
先に音を上げたのはランガだった。もう随分と長いこと会えていないような気がする。
「寂しいの?」と聞かれれば「寂しいわけじゃない」と答えてしまう。だって、そんなはずはないのだから。何故なら暦とはいつも一緒だし実也やジョーやチェリーやシャドウともSで会っていた。一緒に滑ってドキドキして笑って。それは本当に楽しくて楽しくて。だから全然寂しくはない。多分。
「僕も寂しいと感じる暇なんてなかったよ。忙しすぎてね。それはそれで寂しいことだけど」
「忙しいものね。無理言ってごめん」
「ちょうどよかったよ。会いたいのは僕も同じだから時間をつくるよ」
愛抱夢はすぐに承諾してくれたけれど、なかなかスケジュールが合わなかった。相手の表の顔が多忙な政治家である以上、強引に押しかけるわけにもいかずランガは待つ立場にならざるを得ない。
やっと都合がついたと連絡があったその夜、彼と会うことになった。
スネークが迎えにきてキーを渡された。
車で連れて行かれたそこはガチガチのセキュリティで守られたLuxury apartments……日本で言うところの高級マンションだった。ものすごい場違い感にビクビクしながら乗ったエレベーターが止まるのは居住階だけらしい。おかげで迷うこともなく指定された部屋にたどり着きほっとする。
渡されたキーでドアを開けた。玄関の中で愛抱夢が出迎えてくれた。ヘアスタイルも装いもSではなくテレビなどで見る議員の新道愛之介だった。仕事を終え着替える暇もなくここへ来たのだろう。
「ようこそ、ランガくん」
「こんばんは。待った?」
「僕も今しがた着いたばかり。さあ上がって」
執務室を兼ねているらしいリビングへ通されキョロキョロあたりを見回した。オレンジがかった柔らかな間接照明が室内をぼんやりと照らしていた。夜ということもあって光度を抑えてあるのだろう。
それにしても、ランガが母親と暮らす住まいもマンションだが何というか決定的に違う。壁紙、照明、家具、カーペット? 高級感溢れるというのだろうか。生活臭がしないのは執務室と考えれば当然か。
「ここも愛抱夢の家なの?」
「最近手に入れた。執務に使う落ち着いた場所が欲しいと言うことで、すでに公にしているよ。ソファーに座っていて。飲み物を持ってこよう」
広々としたリビングのソファーに座った。神道邸にあるそれと同じ贅沢な座り心地だ。
「仕事場に俺が来てよかったの?」
「本来の目的は別なんだ。ずっとその目的で使えてなくてね。はいどうぞ」
愛抱夢はジュースが注がれたグラスを手渡しランガの隣に座った。
「ありがとう」
「市販のジュースで悪いね。使用人がいればノンアルコールカクテルでもご馳走するんだけど」
一口飲む。グラスの中で氷がカランと鳴った。
「すごく美味しいよ。ごちそうさま」
「どういたしまして。で、君は本来の目的に興味ある?」
ランガは首を横に振った。
「愛抱夢の仕事は難しいから。聞いても俺にはわからない」
彼はなぜか目を丸くして、すぐに肩を震わせくつくつと笑い出した。
「君は相変わらず鈍いね」
ムッとはするが、あまりにも色々な人から鈍い鈍いと言われ続けて、多分そうなんだろうと否定することも無くなっていた。だから「鈍くてもスケートできるし困らない」と開き直る。
愛抱夢はランガの肩を抱いた。
「君とこうして会うためだよ」
「え?」
まじまじと彼の顔を見ればいかにも好青年といった感じの爽やかな笑顔。男の本質をある程度知っていれば胡散臭く感じる要注意の笑顔なのだが。
「神道の家は伯母たちや使用人の目があるし、ホテルは色々対策を立ててもリスクが高いんだ。現に一度だけ危なかったことがあってね。何とか握り潰せたと言うか誤魔化せたけれど次もうまくいくとは限らない。セキュリティがしっかりとしたここならマスコミ連中も手は出せない。そう考えてね」
「俺のために? 俺、迷惑かけている?」
「迷惑はかけられていないし、君のためでもない。僕が君に会うためだよ」
それは同じことではないのだろうか?とランガは疑問だったが黙っていた。きっと愛抱夢にとっては違うのだろう。
肩を掴む指に力が込められた次の瞬間グイッと強く引き寄せられた。顎を掴まれ顔を持ち上げられれば彼の顔が目の前に迫っている。ドキンと心臓が強く鳴った。ランガは瞬くこともできず深紅の瞳に見入っていた。
愛抱夢は苦笑した。
「そうジロジロ見られるとやりづらいな」
瞼に唇を落とされランガは目を閉じた。熱い吐息が唇を掠めすぐに柔らかく湿った熱を感じた。
じゃれるように触れあうだけのキスはすぐに深くなっていく。音を立てて強く唇を吸われ、舌が歯列を割り穿たれた。やがて息苦しくなったランガは首を振って逃れようとするが、それを許さず男はランガの後頭部をしっかり掴み執拗に貪り続けた。
絡み合う舌と舌。混ざり合う唾液。静かな部屋に響く濡れたリップ音は淫猥で生々しくランガの劣情を煽っていく。
しばらくして唇が外されランガは苦しげな呼吸を繰り返した。頬に男の指が触れるのを感じ顔を上げればぼやけた視界の中に二つの深い赤が浮かぶ。
彼の指がランガの頬を撫でた。
「とろけそうな顔をしている。君はキスだけでイってしまいそうだね」
からかうような声音ではなかったけれど気恥ずかしさに目を逸らした。悔しいけれど否定できない。
「ラブリーだったと褒めているんだ」
シャツの前立てに男の指がかかり胸が開かれた。いつの間にかボタンが外されていたらしい。あのキスの最中に? 愛抱夢はそのままランガの腕からシャツの袖を引き抜いた。
「あなたは脱がないの?」
ランガは男の襟元に触れた。彼はその指をつかみ引き剥がしニコッと笑った。
「ここエアコン効いているだろう? 僕は寒さに弱く君は暑さに弱い。だからね」
「狡い」
「大人は狡いものなんだ」
これは彼の常套句だ。ランガのクレームはこの一言で毎回あっさりかわされる。
体重がかかりソファーの上にに押し倒されると上半身のいたる所にキスの雨が降り注いだ。
湿った舌と熱い吐息。胸に描かれる濡れた軌跡。
胸から唇が離れ今度は手のひらで上下になぞりあげられた。乳首を指の腹で潰すように小刻みに揺らされ、ランガは全身を震わせ鋭い悲鳴のような声を上げた。
「フッ……」と、笑い声のようなため息のような吐息が聞こえ、うっすらと目を開いた。男が真上から見下ろしていた。口元には薄い笑みを浮かべ。
ずっと見られていた。彼は自分が与える愛撫にランガが返す反応を眺め楽しんでいる。
「悪趣味」
ランガは両腕で顔を隠し男の視線を遮ろうとした。
「駄目だよ。ちゃんと顔を見せて」
彼はランガの両手首をまとめてつかみ頭上に固定する。その間もう片方の手は休むことなくランガの感じやすい場所を緩慢に愛撫し続けた。
愛抱夢はランガがどこをどうされるのが好きで、どうされるのが嫌いなのか、どの程度の刺激で陥落するのかをよく熟知している。そのギリギリの微妙なラインを狙ってくる。こういう状況下では圧倒的に経験を積んだ大人が有利だ。まだ経験値の足りない自分では太刀打ちできないことをランガは知っていた。今に見ていろと思うのだが現状どうにもならない。
媚態を隠すことも許されず男の目の前にさらされている。そのことがランガの官能をより強く引き出していた。
強く激しい快感ではない。じわじわと浸食していく甘い毒のように気づいたときにはいつも手遅れだ。逃れることは叶わず彼の手中に堕ちている。でもそれが不思議と心地よかった。
不意に下肢に男の手が伸びジーンズのジッパーが下された。下着の中へ滑り込んだ大きな手のひらにペニスをやんわり握り込まれ、ランガは息を飲み白い喉を反らした。
男は優しく上下に撫ではじめる。すでに熱を持っていたランガのペニスは徐々に硬さを増していった。
「そろそろイってみようか」
耳元で低く囁いた男の指の動きが速くなりランガはきつく目を閉じる。やがて迎えた絶頂に目の前を真っ白な閃光が走りその瞬間、射精していた。
爽快感と頭の中が空っぽになったような虚脱感。気怠い体を柔らかいソファにぐったりと沈め目を閉じ乱れた息を整えていた。
温かい手のひらが頬に触れた。瞼を開けば愛抱夢がじっと見つめていた。目が合うとニコッと笑う。
「気持ち良かった?」
「良かった」
ランガは素直に答えた。
「それは何より」
「でもアンダーウェア汚れちゃった」
「心配しないで。君の着替えは用意してあるよ」
いくらなんでも用意周到すぎる。日本では備えあれば憂なしっていうんだったっけ?
「ベタベタして気持ち悪い」
「ではバスルームへ直行だ。試してみたいバスローションがあるんだよ」
「分かった」
「それとこれで終わりではないって分かっているよね? ここまではオードブルだよ」
「うん。俺だけというのはフェアじゃない。こういったことは共同作業でしょう」
愛抱夢はランガの頭を撫でた。
「はい、よくできました。まあ僕は僕で十分楽しませてもらったけどね。なかなか素敵な眺めだったな」
愛抱夢は少し嫌な感じの笑みを口元に浮かべた。
知っている。こういうのをスケベなニタニタ顔って言うんだ。なら、ここで終えてもフェアな気がする。ランガは眉を寄せ口をへの字に曲げた。
彼は愉快そうに笑い「悪かった。少し意地悪だったね」とランガを強く抱き締めた。
あれ? と感じた印象にランガは意識を向ける。
愛抱夢の背中に腕を回しギュッと力を込める。身体を強く密着させ目を閉じた。布地越しでも熱い。これはよく知る愛抱夢の体温。心地よくて安心させてくれる温度だ。
そうか、と理解した。
「俺、愛抱夢と会えない間、足りなかったものやっとわかった。それはね……」
続く言葉を遮るように愛抱夢はキスを仕掛けてきた。
唇を離し「今は黙っていなさい。その話は後で聞くよ」と言った。
向けてくる眼差しは思いがけず真剣で、ランガは黙って頷くしかなかった。
了