バニラフレーバー
ランガはコンドームにうるさい。それは臭いからヤダ、あれは変な味がした。これいいかも……と。そこまでうるさいのは、オーラルセックスで使用する頻度が高いからなので、当然口の中を刺激する殺精子剤配合のゼリー付きなど論外だ。
そうなると、とにかく舌触りと味。他には口腔内の温度が伝わりやすい熱伝導が高い素材かつ薄いコンドームを選ぶことになる。
最終的には、その手の問題をクリアしたオーラル専用のコンドームと、通常の挿入時使用のコンドームを使い分けることになった。
はじめて、口でしてくれたとき、当たり前のようにコンドームを使おうとしたことに驚いた。彼は「オーラルだろうが、同性間だろうが、つけるべきと教わった」と主張する。やはりこの子は性的にも幼いように見えて、北米で性教育を受けているのだ。小学校低学年くらいのころ、父親の何億とある精子の中からたった一つ選ばれ母親の卵子と結合して自分が生まれたことを学校で教わって感動したという。自分はすごいんだと思ったと話してくれた。性とエロが感覚的に結びつく前だからこそ、いやらしい想像を巡らすことなく純粋に感動することができたのだろう。少し羨ましかった。
もちろん性感染症の観点からコンドーム使用は当然のことなのだが、ナマの方が気持ちいいとか、多分自分は大丈夫などという正常性バイアスがかかかり、実際使おうとする輩は少ないだろう。
そういう愛之介だって、その発想はなかった所詮日本人だ。性的なものに一切触れさせない純潔教育を是非としていた伯母どもに育てられたということで入ってくるのは正確な性知識ではない友人間でやり取りされる真偽の怪しいただのエロ知識のみだった。
それが、ひとり放り出されたアメリカ留学で、日本人留学生の男女がらみのトラブルを目の当たりにしたことで戦々恐々となり遅れ馳せながら情報収集し独学で知識を得た。
それをさらっと自分よりかなり年下の少年から指摘されてしまうことは、それなりの衝撃だった。そこで日本の貧相な性教育に思いを馳せてしまったのは、政治家の性 ということで許してほしい。
さて話を戻そう。そのとき手元にはラテックス製のコンドームしかなく、その臭いからランガはオエッとなった。まあ無理もない。
そこから、色々試行錯誤の末、今のコンドームと食品成分からだけで作られている潤滑剤——ローションを併用することで落ち着いた。
どのようなフレーバーのローションがいいのかと一応訊いてみれば、「プーティン」などと寝ぼけたことを大真面目な顔をして言ってきた。あるわけないだろうが。そんなマイナーなフレーバーつくるくらいなら、豚骨スープ味とかガーリックスパイス味とかのほうがまだポピュラーだ。調べてはいないが、いずれにしろ果てしなく需要はないだろう。
結論としてランガは甘いフレーバーを好んだ。ハチミツ、メープルシロップはお気に入りだった。実際、自分が舐めても甘くて美味しいと思えた。もっともいくら美味しくてもフォンダンショコラ味なんてあれば、かえって集中できなさそうで、それは避けたい。あるわけないが。
その夜、封を開けたローションはバニラだった。はじめてのフレーバーだ。バスルームで、お互い相手の全身に塗りたくり、飽きることなくマッサージしたり舐めたりを繰り返した。手のひらで温めペニスを愛撫したりされたりするのも気持ちよかった。
ぬるぬるになった肌と肌を密着させ、ローションをたっぷり塗ったペニスとペニスを擦り合わせ……って、まあただイチャイチャとじゃれあっていただけなのだろう。
やがてランガは、フェラチオ専用コンドームを要求し、熱い舌を這わせそのまま愛之介をいかせてくれた。
次はお返しとばかりに、彼の後ろに指を持っていきアヌスをマッサージしほぐしながら指を挿入した。前立腺を刺激しながら胸に唇を這わせ、ペニスを揉みしだけば、彼は白い精を吐き出した。
ぐったりと弛緩したランガを腕の中にしばらく抱きしめていた。
ドクンドクンという鼓動が響き合い、目を閉じ相手の熱い吐息を胸に感じていた。心地よい疲労感。なんという満ち足りた気分なのだろう。
やがてランガは顔を起こし訊いてくる。
「挿れなくていいの?」と、頬を上気させ。
「君が挿れて欲しいのなら、挿れるけど、僕としてはどちらでもいいよ。もう十分すぎるくらい……」
彼の桜色の唇をそっと指で押さえた。
「ここでしてもらったしね。君はどうなの?」
「俺は……あなたに触られるのが好き。あちこち触ってくれて、気持ち良くしてくれるの。俺もあなたを気持ち良くしたいと思うし、気持ち良くなってくれれば嬉しい。抱き合ってキスするのがすごく好き。インサートされるより気持ちいいかもしれない。だから今は満足しているんだと思う。でも……」
「でも?」
彼は首を傾げた。
「でも、ずっとそうだったら寂しいような気がする。快感ではなくて、たとえ痛かったり辛かったりしても、たまには……」
そこで言葉を見失ったようにランガは黙り込んでしまう。でも、わかってしまった。
「ふふふ……。僕も同じだよ。たまには君とひとつになりたいと思うんだ」
「そう、きっとそれだ。俺もそうなんだと思う。でも今日はまだ大丈夫かなって」
「この前挿ればかりだからね。そう頻繁にやるほどのものではない。受け入れる側の負担が大きすぎるんだ。無理はさせたくない」
ランガは愛之介の首に腕を絡ませ唇にキスをしてきた。唇を離して微笑む。
「これ、味も匂いも甘いね」
「バニラフレーバーだから」
「メープルも良かったけど、これも好きだな」
「君もね。同じくらい甘くて、まるでバニラのよう……」
「え?」
微妙な表情になった。
アナルセックスをを好まないゲイをバニラと呼ぶ。挿入して、いくことより、キスをしたり抱き合ったり、手を握り合ったり、寄り添い体温を感じるほうがずっといい。ならば、彼も自分もバニラ寄りなのかもしれないと愛之介は思う。いくだけなら自分の手で十分だ。
とはいえ、一般的に「君ってバニラだね」などというのは「君って退屈だね」と同義だ。バニラアイスクリームがそうであるように、どこにでもある平凡でつまらないフレーバーと考えられている。
誤解を解いておこう。
「悪い意味じゃなくて、ただ甘いってことだよ。甘くて甘くて、僕はいつも君の中で蕩けそうになる」
ランガはほっとしたように息を吐いた。
バニラか……。
彼を片腕で抱いたままバルブを開いた。彼の頭からシャワーをあて、ベタついた身体からローションを洗い落としていく。床に散った白濁もろともすべての痕跡が排水溝に流されていった。
「なんかバニラアイスクリームが食べたくなった」
ランガはぽつりと言った。
「あるよ」
「え?」
「なんとなくね。ローションがバニラだなと思ったら、つい買ってきてしまった。マダガスカル産のバニラビーンズが入ったアイスクリーム。合成バニラと違って優しい香りなんだ。食べるだろう?」
「もちろん」
ランガの青い瞳がキラキラと輝いている。やれやれ。やはり食い気が優先か。でもそんな彼が愛おしくてたまらない。
了