君は脱ぐとすごい

 慌ただしかったランチタイムが終わり、ドアプレートを〈open〉から〈closed〉へとひっくり返して店内に戻れば、スケーター仲間たちがまだ居座っていた。この時間帯は本来Sia la luce (シアラルーチェ)の休憩時間。それでも六人全員揃うなんてことは滅多にないのだ。大目に見てやろう。

「そう言えばさぁ、次の次のSだけど」

 アイスカフェラテのストローを咥えた暦が唇を尖らせ切り出した。

 それに応じてシャドウが渋い顔で腕を組んだ。

「ああ、あれだろ?」

 言いたいことは理解した。多分ここにいるスケーター皆同じ不満を抱えているだろう。

「ハロウィンの悪夢再びだな。残りもののコーヒーだけど飲むか?」

 訊けば「はーい」と全員が手を上げた。

 真っ先にコーヒーカップを差し出した薫ことチェリーが苦々しげに吐き捨てた。

「ふん、あいつ壊れっぱなしだな。誰かさんのせいで」

 誰かさん——全員の視線がランガに集中した。

 ランガは、俺の顔に何かついている? と言いたげな表情で頬を触り首を傾げただけだった。まったくわかっていないのは彼らしいといえばらしい。

 実也は携帯ゲーム機から目を離そうとしない。

「でさ、みんなどうするの? 僕はもちろん不参加。つき合ってらんない」

「行くわけねーだろ!」

 ほぼ全員が声を揃えた。ただひとりランガを除いて。

 ハロウィンイベントのSでは、なんでもいいから仮装することが参加条件だった。このときは本人申告の仮装であれば問題なかった。普段から仮装衣装みたいなシャドウ、チェリー、実也、ジョーはいつもどおりのコスチュームでこれは仮装だと言い張った。

 ところが、今度のSはメイドの日にちなんで、参加者全員メイドコスプレをすることが条件になるという。誰もが呆れた。バカバカしくて突っ込む気にもならない。おそらく参加者などひとりもいるわけない。いたとしても悪ノリするごく一部のガールズスケーターくらいだ。

「大体メイド服なんて用意できるわけねーだろ。ランガ、お前も行かないだろ?」

「え? せっかくSで滑れるのに。俺行きたいんだけど。暦も行こうよ」

「何バカ言っているんだよ! お前わかってんのか? メイド服だぜ。メイド服を着ていかないと参加できねーって言うんだぞ。お前メイド服ってなんだか知ってんのか?」

 暦は唾を飛ばし大声を張り上げると、ランガの両肩を掴んでゆさゆさと揺すった。ランガはムッと唇を曲げ暦を睨む。

「バカにするな。そのくらい知っているよ。メイド喫茶という日本の伝統文化についても勉強したし」

「いや、そんなの伝統じゃねーし。勉強したって役に立たんし……って、そうじゃない。わかっているのに参加したいとかお前頭大丈夫か? だいたいメイド服なんて持ってねー……だろう……が……」

 声が徐々に小さくなっていく。途中で何かに気がついたのだろう。やがて黙り込むと、ランガの顔をまじまじと覗き込んだ。

「まさか、またあいつが?」

「うん愛抱夢からメイド服が届いたんだ。これを着てくれば参加できるって。暦も一緒に滑ろうよ」

 なんだそりゃ? メイド服が届いただと? 大人三人は何のリアクションも起こせず、口をあんぐり開けた。やはりハロウィンの悪夢の再来だ。

 不参加を決めている実也は、二人のやりとりを無視して涼しい顔でゲームに集中している。

「いや、無理だから。そもそも俺はメイド服なんて持ってねーし」

「あるよ」

「へ?」

「俺の分と一緒に、暦と実也の分だって三着用意してくれたんだ。二人に届けて欲しいって」

 実也が反射的に携帯ゲーム機から顔を上げ何度も目を瞬かせた。さすがに驚いたらしい。

「ええ? 僕のもあるの?」

「うん。二人とも帰りに俺の家寄って。そのとき渡すから」

「俺と実也の分も用意するとか、あいつ何を企んでいやがるんだ」

「きっと気を利かせてくれたんじゃないかな? 俺たち学生だからさ、買うのも大変だろうって。ただの親切心だと思う」

「「んなわけないだろ!」」

 暦と実也に突っ込まれてもランガは「どうして?」ときょとん顔という間抜けヅラを晒している。

「いや、だからっ!」とそこから、喧々囂々の話し合いというか言い争いが始まったのだが収束するのだろうか。

 さて、そんな少年たちを横目に大人三人組。

「そもそもヤツの目的はランガだろうが。なぜ暦や実也の分まで送りつけてきたんだ?」

 チェリーとシャドウのカップにコーヒーを継ぎ足しながらジョーが疑問を口にした。

 コーヒーにミルクを垂らしシャドウが顔を上げる。

「ランガのせいで頭おかしくなったんじゃねえのか? それしか考えられねぇな」

 一通りコーヒを注ぎ終え、ジョーはチェリーの隣に腰掛けた。

「ランガのせいか。前みたいに人を巻き込んでの無茶な滑りは見られなくなったし、何よりも楽しそうに滑るようになったんだから悪いことばかりじゃなかったけどな。そう思うだろ? 薫」

 目を閉じ腕を組んでいたチェリーが顔を上げ、頷いた。

「なるほど。読めたぞ」

「何がだ?」

「おそらくだが、ヤツはもちろんランガにメイド衣装を着せたいのだろう。他は多分興味ない」

 シャドウが頬杖をつきコーヒーをすすった。

「じゃあ、なんで暦や実也の衣装まで用意したんだ?」

「念の為だろう」

「念の為って、どういう意味だ?」

「ランガひとりのメイド衣装だけを用意してみろ。間違いなく暦も実也も不参加をになるだろうな。その場合、ランガがひとりでも参加するかどうか怪しいと踏んだんだ。その確率を上げるために暦と実也、二人の衣装も用意した」

 シャドウが苦々しげな表情で吐き捨てた。

「なるほど。納得したぜ。したくはなかったがな!」

 三人は、あーでもないこーでもないと言い合う子供たちをチラリと見てため息をついた。やがて話がまとまったのか、チェリー、ジョー、シャドウの座るテーブル席へ、暦がやってきた。

「話はまとまったのか?」と、ジョーが尋ねた。

 浮かない表情で、暦は後頭部をバリバリと掻いている。

「うん、まあ」

「しけたツラしているな」

「参加することになった。押し切られたんだ。二対一じゃ分が悪すぎてさ」

「二対一って、まさか実也も乗り気なのか?」

「あいつ『メイド服着るのなら、可愛い今が最後のチャンスだよね』とかなんとか。わけわかんねーだろ! ランガと実也の二人だけというのも何か心配だし。当日ジョーたちは来ないんだろ?」

「そのつもりだが」

「俺、実也より年上だしランガよりS歴長いから一応、面倒見てやらないとって。だからつき合うことにした」

「まあ頑張れよ。そんでもってせっかくなんだから、楽しんでこい!」

 気乗りしていなさそうな暦の背中をバシッと叩き根拠のない激励の言葉を押しつけた。

 そんな二人の様子を横目で見ていたチェリーが「ふん」と鼻を鳴らしてカップをソーサに置いた。

「これまでのところ、すべてヤツの思惑通りだな」

 頬杖をついてジョーも同意した。

「そうだな」

「え?」とシャドウが、二人の顔を交互に見て、やっと気づく。

「そうか、そういうことなのか。そりゃ、あったまくるな」

「「ああ、本当っにむかっ腹の立つ」」

 ジョーとチェリーの声が綺麗にハモった。

「珍しく気が合ったな、薫。このまま、ヤツの思い通りにさせてやるつもりか?」

 チェリーは口元を扇で隠し、横目でじろっとジョーを見た。

「冗談ではない」

 それに応えてジョーもニヤリとした笑みを浮かべ、シャドウもうんうんと何度も首を縦に振った。

「だな!」

 意見は一致した。


 さて当日のメイドS(仮)。着替えの時間も考えた方がいいとかなり早い到着になった。自分達以外まだ誰も来ていない。もっとも他に来るやつがいるのかどうか怪しいが。

「へえ……」

 なぜか感心しているランガをよそに、暦と実也はお腹を抱え、ゲラゲラと笑い転げている。

 実也はともかく、暦、お前が笑える立場か!

「く、苦しい……笑い死ぬ!」

「触っていい?」と断りを入れ、ランガはジョーとシャドウの三角筋から上腕二頭筋を撫でる。

「すごいね、ジョー。シャドウもだけど、いつも以上に、筋肉が目立つよ」

 ジョーやシャドウが身につけているメイド服についての言及は一言もなく、スケート絡みの筋肉にしか興味を示さないこいつは変わっている。というか生粋のスケートバカだ。

 やっと落ち着いた暦が、息を整えて顔を上げた。

「まさかジョーたちが参加するとは思わなかったよ。チェリーは……いつもの袴に、新しいのは白いフリルのエプロンだけだよな?」

 チェリーは黒っぽい普段着の和服を選び、豪華なフリルつき白エプロンを足しただけの手抜きだ。

「和装メイドなるものがあることを知って、これが一番楽だという結論になった。こんなアホなイベントに手間かけてられん」

「ジョーとシャドウのメイドコス、すごい破壊力だよね。どこで手に入れたの?」と実也。

筋肉を見せびらかしつつジョーが解説した。

「調べたら通販で男性用メイド衣装というのがあって、そんな高くなかったしな。モデルは髭ヅラのおっさんだったから、俺たちでも大丈夫だろうと考えた。お前たちだけでは心配だったから思い切って参加することにした」

 そして、メイドコスの少年たち三人を頭のてっぺんから足のつま先まであらためてじっくりと観察した。要は品定めだ。

 この中で、女の子に見えるのは……実也くらいだ。まだ男女差の少ない子供骨格の実也は微妙なバランスでボーイッシュな女の子に見えないこともない。おそらく化粧をすれば完璧だ。

「可愛い今が最後のチャンス」か。こいつは自分をよく知っていやがる。アピールポイントもだ。あと数年、高校生になるころにはガラッと体つきも変わっていくのだろうから今のうちなのは確かだ。

 だが暦とランガは、流石に無理がある。誰がどう見ても女には見えない。こんなゴツい女がいるか! 肉づきの問題ではなく、この歳にもなれば男女で骨格が違いすぎる。

 暦は細めとは思っていたが、筋肉が不足している。スケーターとして技術を上げるのならもっと筋肉をつけた方がいい。でないと怪我をしやすくなる。ランガはしっかりとした骨格と無駄なく綺麗についた筋肉。恵まれたアスリートとしての肉体だ。これも才能のうちなのだろう。

 注目されていると感じたのか、実也がいきなりクルリとターンをした。ミニスカートがフワッと広がる。

「どう? やっぱり僕が一番可愛いよね!」

 暦が頭を抱える。

「俺、可愛いなんて言われたくねーし。そういえば、意外にもランガがちっとも女に見えないんだよなぁ」

「意外って、なんだよ。暦」

「ん、いやお前ってキレイ系の顔だろ? だからもう少し女に見えるのかなって」

 確かにランガは化粧をして首から上だけを見れば、絶世の美女に見えるだろう。だが、首の下がどうやっても男だ。多分だが、今の実也くらいの年齢だったころなら、完璧な美少女に見えただろう。見てみたい気がしないでもない。

 さてこんなランガを見て、愛抱夢 あいつがどういった顔をしてくれるのか、見ものだ。 

 と、いきなり降ってきた声に振り返った。

「おや? 早いね。それにしても意外な人たちも参加するようだ。もちろん歓迎しよう」

 赤いマタドール衣装の男がボードを滑らせ近づいて来る。噂をすればなんとかだ。噂をしたのは心の中でだが。

 チェリーが眉をひそめた。

「お前はいつも通りの格好か」

「僕はここを運営する神だからね。何を着ようが自由さ」

「勝手なことを」

「それより、ランガくん!」

 愛抱夢はランガの周りをクルクルと滑りながら、ランガの全身をねっとりとした視線でなぞっていく。

「実にラブリーだよ! 素晴らしい。僕の見立て通りだ。しっかりとした骨格と筋肉にメイド衣装が相まって実に美しい。君は本当に脱ぐとすごいタイプだって僕は知っているからね」

「どうも」

 ニコリともせずにランガは応えた。

「脱ぐとすごい?」

 シャドウが反応した。

「なぜ、あいつがそんなこと知っている?」

 チェリーも続いて首を傾げた。

「二人とも、深く考えるのは、やめよう。今はまだな」

 言えば、チェリーもシャドウもげんなりした様子で嘆息した。

 愛抱夢は、ランガから実也に目を向けた。

「実也。君はあと数年待った方が良さそうだ。今だと女の子に見えてしまう」

 女装させておいて、女の子に見えてしまうことがマイナスポイントだと? やはりこいつの頭の中はさっぱりわからん。

「愛抱夢が何を言おうと、僕が一番可愛いのは事実さ」

 実也はあくまでも強気だ。

「もちろん君が一番可愛いのは認めるよ。だが僕はそんな可愛さを求めてはいないんだ。実也くん」

 実也は思いっきり嫌そうな顔をした。

「げっ! 愛抱夢なんかに求められてたまるか!」

 最後に愛抱夢は暦をチラリと見て言った。

「あー、よく来たね。赤毛くん。まあ君のメイド姿はどうでもいい」

「ああー?」飛びかかりそうになっている暦の肩をつかんだ。

「ムキになるな」

「わかってらぁ。こっちは着たくて着ているわけじゃないのに、すっげームカつく」

「大丈夫だよ。暦は十分可愛いと俺は思う」

「ランガ……それ、ぜんっぜんフォローになってねーから!」

 ふと気がつくと、周囲に人だかりができていた。なんと多くのむさ苦しいメイドスケーターたちがいつの間に集まっているではないか。これは想像できなかった。いや、集まったスケーター皆が皆そう思っているに違いない。

 愛抱夢のやつ、ざまあみろというものだ。ランガとくっついてくるおまけだけで悠々と滑れると思っていただろうが、そうはさせるか。

 周囲をぐるりと見回して愛抱夢が口を開いた。

「ほう……。これは想定外。だが、皆が参加してくれて嬉しいよ! 僕はね……」

 言いながら、愛抱夢はランガの手を両手で包むように握り顔をぬっと寄せた。

「君がいてくれれば、あとは誰もいなくても、大勢いても関係ないんだ」

「愛抱夢?」

 ランガはいきなり手を握られ目をパチクリさせている。

「さあ僕と滑ろう。ランガくん! 他の皆は僕たちの後に続くんだ。追いつけるかな?」

「ウォー!!」

 集まったメイドたちから地鳴りのような歓声が轟いた。

 そのままグイッとランガの手を引き、愛抱夢はスタート地点へと駆け出した。ランガも迷うことなく一緒に走っていく。

「勝負だ、愛抱夢。俺、負けない!」

「僕もだよ。ランガくん」

 結局、愛抱夢をただ喜ばせるだけだったようで、俺たちの苦労はいったい? と頭を抱えつつ、こうなった以上、徹底的に楽しんでやろうと発想を転換したのは、皆同じだろう。

 見れば、チェリーもシャドウも暦も実也も、全身に闘志をみなぎらせている。ジョーも負けじと、ダッシュでスタート地点へと急いだ。

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