そしてラブホで遊ぶ
「ラブホが何かって? お前なぁ、それくらいググれよ」と暦は言った。
「ググるって?」ランガは首を傾げた。
「そこからかよ。あー、もう。検索するってことだよ」
「やってみる」
スマホを使ってランガは検索窓に「ラブホ」と打ち込んだ。
「ねえ暦、なんかこの辺のホテルがいっぱい出てくるけど。ホテルのこと?」
「間違っていねえけど。ホテルと言ってもラブホテルのことだよ」
「ラブホテルって?」
「えーい、もうめんどくさいな。ウィキ俺が読み上げてやるから。それで理解しろよ。俺は読んでいるだけだからな。これ以上その質問もう受けつけないぞ」
「わかった」
「読むぞ。『ラブホテルとは、しゅ に カップルの せいこうい に てきした せつび を もつ へや を、たんじかん(きゅうけい)もしくは しゅくはく で りようできる しせつ。りゃくして〈ラブホ〉とも よぶ』」
「わからない単語あるんだけど。〈せーこーい〉って何? 日本語難しい」
「……質問は受けつけねーって言っただろ。気になるのならググれ。もうこの話は終わりだ終わり!」
「暦、顔赤い」
「う、うるさい」
「整理すると、君はラブホが何か知りたかった。ラブホはラブホテルのこと。そこまでわかったけれどラブホテルの説明に出てきた〈性行為〉という言葉の意味がわからなかったってことだね」
久しぶりに顔を出したSで愛抱夢こと愛之介はランガから少々厄介な質問を受けた。
「〈せーこーい〉で検索しても何も出てこないんだ。暦はもうこの話するなって不機嫌になるし」
赤毛の親友にこれ以上質問することもできず途方に暮れていたというわけか。
「〈せ、い、こ、う、い〉で、検索した?」一音ずつ区切って強調しながら質問する。
ランガは一瞬目を見開いて、数秒してから「あ、そっか」と頷いた。
「やはりね。それでは何もわからないだろうな。でも、どうして僕に? ジョーやチェリーでも問題ないんじゃないかな。ジョーなんて僕よりもよほど詳しいと思うよ」
「説明してもらってもまた難しい日本語が出てくるかもしれないし。愛抱夢なら英語で説明してくれるかなって」
「そういうことか」
「日本語まだわからないところがあって」
「君は日常会話には支障ないみたいだけど日本語はどうやって覚えたの?」
「家で母さんと話すときはなるべく日本語にしようと言われて。父さんとも半分くらいは日本語で話していた。母さんの母国の言葉も喋れた方がいいから。ただ、読み書きはあまりやってこなかったから今勉強している」
母親との会話から吸収した日本語なら性的だったり罵詈雑言的な単語は登場しないのは当然か。
「なるほどね。でも、なんでラブホが知りたかったのかい?」
「暦がスネークを『ラブホの』って言っていたから」
「え?」
「一緒にラブホに入ったらしい。スネークとぶつかって、なんかの話合いとか交渉っだって。何もなかったからと暦は何度も言っていたけど」
「忠と赤毛くんがか?」
「そうだよ」
聞いていないぞ、そんな話。
あとで忠を問い詰めてやらなくては。もっとも犬の弱みを一つ上乗せできるのなら大歓迎だ。
「だいたいの事情は理解した。では、これから英語で説明するよ」
愛之介から一通りの説明を英語で受けたランガは顔色変えたり動揺するような感じは見られなかった。ただ淡々と頷きながら聞いていた。それでも説明を終えたころには少し顔を曇らせていた。
「暦は、暦はどうして? 話合いのためで何もなかったって言っていたけど」
小声でぶつぶつ言っている。やはり親友のことは気になるのだろう。
「赤毛くんのことなら大丈夫だよ。何もなかったって言っているんだし。セックス以外の目的で利用してはいけない施設というわけではない。場所的に都合が良かったんだろう」
車で軽く接触した。おそらくラブホテル近くで。それを揉み消そうと示談交渉の場所にラブホテルを選んだ。おおかたその辺りだろう。忠は常識人ぶっているが発想が自分以上にぶっ飛んでいる。この際、締め上げておくべきだろう。
ランガは「良かった」と安心したように言った。
「ラブホ文化がある国は限られているからね。日本はカナダと違って住宅事情はよくないんだよ。実は夫婦での利用が多いとも聞く」
「でも、それなら普通のホテルとかでもいいと思うけど。どうして専用のホテルがあるんだろう? 普通のホテルと何が違うの? それとも日本のホテルはセックス禁止なの?」
ランガの突飛な発想に愛之介は苦笑いを浮かべる。
「流石に禁止できないよ。ラブホテルがある理由だけど、一つは泊まるというより短時間での利用が多いんだ。ただセックスするだけならその方が安く利用できるしね。他にもセックスの為だけの特殊な設備があったりするんだよ。雰囲気とかが全然違うんだ。ベッドが円形だったり回転する仕掛けがあったりと色々。他にも派手派手しい照明とかバスルームがガラス張になっていたりという非日常的な空間になっている。部屋のコンセプトごとにバリエーションがあってムードを盛り上げているんだ」
話しているうちに段々悲しくなってきた。なんで、セックス連呼して回転するベッドだとか真面目に解説しているんだろう。男子高校生相手に。
「へえ面白そう」
面白そう? 見ればランガの青い瞳はキラキラと輝いている。この子は普段ぼーっとしている癖に妙なところで好奇心を発揮する。
「わかったかな」
「説明してくれてありがとう」
「どういたしまして」
そこまで話し終えた愛之介の仮面奥の瞳をランガはじっと覗き込んだ。
「愛抱夢はラブホ行ったことある?」
まさかそんなストレートに切り込んでくるとは思わなかった。
意外なようだが愛之介はラブホテルに行ったことはない。そもそもセックスを第一の目的で誰かと会うなんて発想はなかった。ホテルのレストランで食事をして気分が乗ればそういう展開になることもあるだろう。その場合ホテルに部屋をリザーブしておいたほうが理にかなっていたのだ。
いや、それ以前に神道家の家名に誓ってラブホテルなど有り得ない。ラグジュアリーホテルこそが神道家に相応しいのだ。
「残念ながら、そんな機会なくてね」
「それならどうして知っていたの? 部屋のこととか」
そこを突っ込んでくるのか。
「一般教養というか普通に生活していればそのくらいの情報いやでも入ってくるよ。放っておいたって君もいずれ知ることになっただろうね。それにラブホが違法建築物というわけではない以上、議員はその辺りの事情は当然知っていないといけないからね」
最後の方は当然のごとく屁理屈だ。
「すごいね」
ランガは変に感心しつつも相変わらず興味津々の様子だ。
「行ってみたいのかい?」
「暦だけ行ったことがあるなんて狡いと思って」
何が狡いんだか子供の思考にはついていけない。
「張り合うようなことではないだろう」
「そうだけど」ランガは不満そうに口をへの字に曲げた。
愛之介は、そんな彼にとんでもないことを迂闊にも口走っていた。
「そんなに行きたいのなら僕が連れて行ってあげようか?」
しまった、と思うが時すでに遅し。後悔先に立たずだ。
これを脊髄反射とか刺激反応と言うのだろう。思考より先に口が動くとは政治家失格だ。すでに失言政治家の第一歩を踏み出しているのかと思うとぞっとする。
「え? いいの?」
ランガの顔がぱぁと明るくなり無邪気に身を乗り出してくる。
「き、君がどうしてもと言うのなら」
「ありがとう。これで暦に俺も行ったって言える。暦と同じ話ができるね」
言うな! 神道愛之介、政治家生命最大のピンチだ。
「ちょっと待ってくれ。ランガくん、これは誰にも話してはいけないよ。君は僕とセックスしたいの?」
ランガはブンブンブンと首を横に振った。そりゃそうだ。まだ唇へのキスすらしていないのだから。
「でもね、ラブホにふたりで入ったとなるとたとえそれが社会見学だったとしてもセックスをしたと周りから見られるんだ。言い訳の余地もなく。君は僕が国会議員だって知っているよね。その事実をマスコミが嗅ぎつけてみろ。それだけで君とは何もなくても僕は失脚する。しかも十八歳未満の君相手では淫行で僕は犯罪者になってしまう。わかるね?」
「そうだよね」とランガは残念そうに目を伏せた。
「今までも俺が世間知らずで話が通じなくて、暦を困らせているような気がして」
まったく、この子はそんなことを負い目に感じていたのか。
「どうするか君が決めるんだ。君はそのことを誰にも話せない。もちろん赤毛くんにも。それでもラブホテルに僕と一緒に行く?」
「行く」
恐ろしいことに即答だった。もう覚悟を決めるしかない。子供の好奇心にはかなわない。
「このことは行く前も行ったあとも、永遠にふたりだけの秘密だ。守れる?」
「俺、誰にも、暦にも言わないって約束する」
「いい子だ。そこまで言うのなら連れて行ってあげよう」
「ありがとう。それと暦が行ったラブホがいいんだけど。スネークに訊ける?」
「ああ、調べておくよ」
そのとき「おーいランガ」と声がした。
「あ、暦が呼んでいる。俺、もう行く」
「では僕から連絡するよ」
赤毛の親友の元へとランガは走り出した。
ふたりの会話が聞こえてくる。
「ランガ、あいつと何話していたんだ?」
「愛抱夢、英語話せるから日本語のわからない言葉を英語で教えてもらっていた」
嘘ではないな。
冷静に考えると色々とおかしい。
何よりも面倒だ。絶対にマスコミに嗅ぎつかれてはまずい。そのためには何重もの対策を施す必要がある。赤毛の彼をラブホテルに連れ込んだ前科がある以上、忠には全力で協力させる。
ランガにしてみればテーマパークに遊びに行く感覚と大差ないのだろう。色っぽい展開には、どう頑張っても持って行けそうにない。
それでも少々風変わりなデートだと思えば悪くない。
当日、Sをふたりのためだけに解放させておこう。食事にも誘う。そしてラブホで遊ぶ。
この少年はラブホテルの部屋でどんな表情を見せてくれるのだろう。そんな密やかな楽しみを手に入れたのだ。こうやってふたりだけの秘密を少しずつ積み上げていく。今はそれで十分だ。
いつか君との関係が大きく変わる。
そう信じているよ、ランガくん。
了